看板娘の取り合い
昨夜、実家で夕食の時、親父と一杯やりながら昔の話になった。
富士見町の裏通りのどこそこに、看板娘のいる床屋に行っていた話。
30前後で独身の彼女は、父親と二人で理髪店をしていた。
小学生の頃、わしは必ず親父と一緒に床屋に連れて行かれた。
前の客が終わり、オッサンの方が「どうぞ」と言うと、親父はわしに行けと言い、お姉さんが「どうぞ」と言うと自分が立つ。そう、そのためにわしを同行させていたのだ。
その話になると、思い出して腹が立ってきた。
一生のうち、何百回床屋へ行くか分からんが、そのうちの貴重な何年かを、わしはオッサンなんかに髪をいじられてオッサンの匂いを嗅がされて金を取られてきたのだ。まあ金は親父が払ったのだが。
親父は言った。
「いや、あれはオッサンの理髪法が古いタイプだったから嫌だったんだ」
「そんな言い訳が通用するか! 誰だってお姉さんが良いに決まってる!」
わしはネチネチと40年以上前の恨み言を言った。
また別の時、親父が一人でその床屋へ行った時、オッサンガ「次の方どうぞ」と言うと、先に並んでいた前の客が、親父に「どうぞお先に」と言ったらしい。
まったくもう、庶民の小さな幸せと争奪戦が、その小さな床屋で繰り広げられていた1960年代であった。
結局わしはスキンヘッドになり、もう10年以上床屋さんには行っていない。
富士見町の裏通りのどこそこに、看板娘のいる床屋に行っていた話。
30前後で独身の彼女は、父親と二人で理髪店をしていた。
小学生の頃、わしは必ず親父と一緒に床屋に連れて行かれた。
前の客が終わり、オッサンの方が「どうぞ」と言うと、親父はわしに行けと言い、お姉さんが「どうぞ」と言うと自分が立つ。そう、そのためにわしを同行させていたのだ。
その話になると、思い出して腹が立ってきた。
一生のうち、何百回床屋へ行くか分からんが、そのうちの貴重な何年かを、わしはオッサンなんかに髪をいじられてオッサンの匂いを嗅がされて金を取られてきたのだ。まあ金は親父が払ったのだが。
親父は言った。
「いや、あれはオッサンの理髪法が古いタイプだったから嫌だったんだ」
「そんな言い訳が通用するか! 誰だってお姉さんが良いに決まってる!」
わしはネチネチと40年以上前の恨み言を言った。
また別の時、親父が一人でその床屋へ行った時、オッサンガ「次の方どうぞ」と言うと、先に並んでいた前の客が、親父に「どうぞお先に」と言ったらしい。
まったくもう、庶民の小さな幸せと争奪戦が、その小さな床屋で繰り広げられていた1960年代であった。
結局わしはスキンヘッドになり、もう10年以上床屋さんには行っていない。
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