どーも気になること
夕食時、実家で遠山の金さんを見ていた(仕方なく)。すると不良息子が、母親に向かって「おふくろ!」と呼んでいた。
これは有り得ない。もちろん明治大正昭和初期でも、そんな言い方をする人間はいない。だって直接親に向かって、「親父」「おふくろ」という呼びかけは、日本語として正しくないからだ。
「うちの親父が云々」と、第三者として話すのならありだ。だが、本人に向かって「親父」と呼ぶのは有り得ない。
じゃ爺さんに、「ジジイ」「祖父!」とか呼ぶのだろうか。
いつごろから、こういう正しくない言い方をカッコいいなんて思い、言われる方も親しみがあるなんてバカなことを言うようになったのだろう。
もちろん飲み屋の親父を、親父、と呼ぶことはある。ここで変だというのは、実の親父への呼びかけには適していないということである。
やはり昭和45年頃からかなあ。もっと前からあったかも知れん。
もちろん私は幼い頃から、51歳の今も「お父さん、お母さん」と呼んでいるし、「親父、お袋」と呼びかけているガキを見ると、親ともども殺したくなる。その家系の気品と教養を疑いたくなるが、どうなんでしょうねえ。
これは有り得ない。もちろん明治大正昭和初期でも、そんな言い方をする人間はいない。だって直接親に向かって、「親父」「おふくろ」という呼びかけは、日本語として正しくないからだ。
「うちの親父が云々」と、第三者として話すのならありだ。だが、本人に向かって「親父」と呼ぶのは有り得ない。
じゃ爺さんに、「ジジイ」「祖父!」とか呼ぶのだろうか。
いつごろから、こういう正しくない言い方をカッコいいなんて思い、言われる方も親しみがあるなんてバカなことを言うようになったのだろう。
もちろん飲み屋の親父を、親父、と呼ぶことはある。ここで変だというのは、実の親父への呼びかけには適していないということである。
やはり昭和45年頃からかなあ。もっと前からあったかも知れん。
もちろん私は幼い頃から、51歳の今も「お父さん、お母さん」と呼んでいるし、「親父、お袋」と呼びかけているガキを見ると、親ともども殺したくなる。その家系の気品と教養を疑いたくなるが、どうなんでしょうねえ。
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